ひまなときはひまなものである

親友と呼べる相手って

そう多くない。

というかそういう相手が

ひとりもいないという場合も

けっこうあると思う。

定義は難しいけど、

少なくとも出会ってから経過した

時間は関係ないと思う。

ぼくは幸せなことに親友と呼べる相手が

ひとりいて、

しかし彼とはまだ出会って1年半だ。

おかしな出会い方だった。

接点は全くなかった。

ぼくがCD屋うろうろしてたときに

声かけてきたひとがいて

そのひとが誘ってくれたホームパーティに

来てたのだその彼は。

メンツのほとんどが初対面のパーティだったので、

ぼくは自己紹介代わりに

自宅でつくったコーヒーを水筒に入れて

持って行って、そこで振る舞った。

彼はそのコーヒーがいたく気に行ったようで、

それがきっかけで意気投合した。

彼は語学が堪能で、

たしか日常会話レベルなら

5ヶ国語喋れたはずだ。

旅が好きで、

毎年1~2ヶ月滞在するという

オランダの話をよくしてくれた。

ホームステイ先の家族や町の人たちとの

ふれあいの話を聴いていると、

彼にとってそこは第二の故郷なのだということが

理解できた。

同じくらいドイツも好きなようである。

フリーターをしながら生活している今も

ドイツ語の勉強はつづけていた。

そして彼は念願だった

ドイツの国家機関が運営する

語学教室への入学を果たした。

これがもう

とんでもなく狭き門らしいのだ。

入学手続きからして全てドイツ語だし、

様々な試験をパスしなくてはならない。

入学したらしたで、

課題の難易度や量が半端ではないらしい。

授業を受け続けるだけでも、

学力だけでなく、相当な根気と体力を要する。

睡眠時間は限りなく少ない。

実際、脱落していく者は多かったようだ。

でも彼は授業を受け続け、

課題もこなしていった。

体力的にも精神的にも

限界ぎりぎりのところを

さまよい続けていたらしいが、

不思議とイヤになることはなかったらしい。

どんなにしんどくても

授業のある日は楽しくて

足取りが軽かったと。

それは教師があきれるほどだったという。

ぼくはこの話を聴いて、

彼のことを羨ましく思った。

しんどい様子は伝わってくる。

ぼくならとっくにギブアップしてるような

凄まじいスケジュールを

彼はこなし続けているのだ。

でもそれでも楽しいという彼はたぶん、

自分のやりたいことと

自分に向いてることが合致している。

それが、

それを見つけることができたことが、

それを自覚できていることが、

羨ましかった。

自覚して、

体力と精神力をすり減らしながら、

全力でぶつかれるものに

全力でぶつかれていることが

羨ましかった。

そういうものは

誰にでもあるわけじゃない。

やりたいことがあっても、

自分がそれに向いてないこともある。

機会にずっと恵まれないこともある。

条件がそろっても

やる気が持続しないことだってある。

そのときぼくは、

どこに向かっていけばいいか、

何をすればいいか、

まったくわからない状況だった。

彼のことは本当に尊敬していた。

自分の向かうべき方向を知っていたし、

実践もしていた。

旅をする彼の生き方にも強い憧れを抱いた。

しかし、それなのに、

そんな彼が言うのだ。

ぼくのことを尊敬していると。

理由を聴いてもぴんと来なかった。

考えてみた。

ぼくのどこに

尊敬できる要素があるだろう。

あれかなあ、

何も考えてないところかなあ。

ともかく彼はぼくを尊敬していると言い、

親友だと言ってくれた。

嬉しかったのは確かだ。

ところで彼とはここ4ヶ月ほど

会っていない。

一時期はヒマさえあれば遊んでいたのに。

いまは勉強がものすごく忙しいようだ。

ここ4ヶ月でぼくは、

ようやく打ちこめることを見つけた。

そしてそれは今も続けることができている。

久しぶりに会いたいなあと思った。

とくに何を話すでもないんだけど。

彼がいつもどこで勉強しているかは

知っていたので、

今日そこへ行ってみた。

驚かせたかったので連絡はなしだ。

しかし、彼はいなかった。

入れ違いだったようだ。

なんとなく思ったのは、

まだタイミングじゃなかったのかも知れない、

ということ。

お互い向かうべき方向がわかって、

突き進んでいる状態である。

まだもう少し走り続けて、

落ちつける時間ができたら、

コーヒーでも飲みながら

語り明かそうじゃないか。

とか書くとドラマチックだけど要は

ぼくのほうはこんなこと長々と書けるくらい

ひまだから遊んで!><

ということである。