ギャップ、だいじ。やくそく、だいじ。

小説とか、マンガとか、映画とか見てて思うんですけど、ギャップって大事ですね。
かっこよさとか、キレイさとか、エロさとか、おもしろさとか、切なさとか、楽しさとかに関して――
表現されるあらゆることは、ギャップを作ることで生じた“ズレ”の断面から発せられているのかもしれない……
もしくは、作品を見る人に届くのは、込められたある複数の要素がズレるときに生じる摩擦のエネルギーだけ、なのかもしれない……
と思います。
でも、複数の要素があるから生じるギャップも、パターン化されると、まとめて1つの要素になる。
ギャップがたまらないと珍重される概念“ツンデレ”も、デレが完全に読めてしまっていたら萌えないってことです。たぶん。
だからツンデレという概念が発祥する以前の、知らずに遭遇する原初のツンデレは、ちゃんと“ツン”と“デレ”の2つの要素を持っててギャップを堪能できるけど、現代の『ツンデレカフェ』のツンデレには“ツンデレ”というひとつの要素しかないパターン化されたものだから、始祖ツンデレほどのパワーは無い、ということですよね??
でも、2度目に読むマンガは1度目よりおもしろくないことが多いけど、1度目よりも、大きな要素(小さな複数の要素とそのズレのパターン)同士の断面が見えてくるので、また違ったおもしろさがある、ともいえるので、パターン化は一概によくないなんてことは無いと思いますけど、とにかくギャップです。断面とズレのエネルギーです。
まとめると、「飽きる」→「新しい楽しみ方さがす」っていう、それだけのことですけど。

「ラギッド・ガール」っていう小説の受け売りですけど、目に映る映像って、完全に固定されると、人間はそれを認識できなくなるらしいです。だから無意識に視線を微妙に動かして、目に映る像を細かく変え続けてるって。
つまり、人間の目は、像の細かい変化――ギャップで物を見ているのです。
上に書いた話といっしょ!
あ、でもこの例え関係ないかも。

まあ、何がいいたいのかと言うと、とにかく「ズラせ!ズラせー!」ってことだったと思います。