「火の鳥」は39℃でも読める

まんがとか小説は好きですけど、
仕事で失敗したりとかそういう
現実の苦難に遭遇すると、
フィクションってなんて無力なんだろうとか思います。
問題に対してフィクションは、なんの解決にもならない。
必要なのは問題に直面したときの判断力だったり、
それに関する知識だったり、
解決に対する実行力だったりしますから。
で、ぼくはそういう必要な能力ないから、
何かあると自分のふがいなさにへこむわけです。
そして、いつものように帰って
まんがをぱらぱら読んでいると
こんなことしてる場合じゃない、と、
うっちゃられる程度のものなのです、フィクションって。
でも、そんなフィクションを作る仕事には
ずっと憧れてはいるっていう。

そもそも娯楽としてのフィクションと
現実の苦難を並べることがまちがってるのか、
娯楽は娯楽でリラックスしてる時間の
充実させるツールのひとつにすぎないのか。
だとしたらすごくさびしい気がします。
結局、健康や安全が約束された日本での生活の
リラックスできる状況でしか価値をもたないんでしょうか。
だから日本は、まんが産業やゲーム産業が栄えている?

でも今これ読んでくれてる人は、
そんなこと無いってばよ! とか
いまどき「リベロの武田」みたいに心中で叫んでいると思います。
{*無駄な表現あとで削除↑}
たしかにそんなことないはず。
そんな程度のものなら憧れたりしないはず。
それは本当につらいとき、
フィクションに救われた経験があるからではないかと
思います。
つらいときにギャグまんがを読んでも、
なんか意図的に逃避しているような気がして
興がのらないというか、冷めてしまうんですけど、
そうではない、
今の問題にかかわりのあるテーマの作品でもそうでなくても、
苦難にたちむかう主人公の活躍をみて感動できれば、
それが自分もがんばろうという活力になるわけで、
それって大きな価値だといえると思います。
いや、ギャグまんがでも、
悩んでてても仕方ないという、
もっと気楽にいこうよという気分にさせてくれるという意味では
価値がある。
現実の苦難に対する架空の物語の価値って、
問題を解決するのはあくまで自分だけど
そのために最も必要な、やる気を与えてくれるところかもしれない。
そういえばそもそも、いい作品は、
まったく架空のファンタジーを描いていようと、
ちゃんと現実を生きる人間をもとに描かれてるのが見える。

ぼく今月に入ってから、
下痢、痔、風邪、虫歯を患って、
トイレやベッドで「うう、ちくしょう」とかうめきつつ
そんなようなこと考えました。
いまはほとんど治ってます。
やばい、健康ありがたい。健康あつい。