ツェーデーはええでえ

バイト先の年上の後輩、向さん(仮名)が、
CDをいろいろ貸してくれます。
向さんは元バンドマンで、
いまは大阪にいるけど、
東京で活動してた時期もあったらしい。
それで、他のバンドとかライブハウスのスタッフとかとも
交流あるわけだから音楽の知識はすごい。
向さんはいまでも音楽ソフトはCDにこだわってて、
レンタルではなくもちろん購入で、
気に入ったものはアナログも買うそうですし、
廃版品はオークションで手に入れるらしいです。
主に紙ジャケっていうのは基本。
で、毎月3,4万はCD代に消えてるって。
向さんの自宅ライブラリはかなり膨大だから、
ぼくの好みにぴったりのCDを貸してくれるので、
何かぼくも持ってるCDから向さんに貸したいんですけど、
ほとんどCDというものを持ってない。
ぼくの場合は音楽ソフトと言えば、
大半がレンタルCDをコピーしたデータのみなので。
この、形のあるものが無いっていうのが、
貸し借りっていう文化交流のチャンスを潰してます。
まあそれはいいとして、
やっぱCDで聴くのいいなあ、と。
音質とかわからないですけど、
シンプルな紙ジャケを開いて、
ホルダにおさまってるCDを取り出し、
プレイヤーにセットして、再生。
っていう、iPodとかデータで音楽聴くのと
CDで聴くのの大きな違いって、
このワンアクションの有無だと思います。
CD派の人がCDにこだわる理由って、
いろいろだと思いますけど、
ぼくが今貸してもらったCDを聴きながら思う
CDの魅力って、
昔あたらしいファミコンソフトを手に入れたとき、
紙の箱から取り出して、
透明のプラ台におさまっているカセットを、
本体にセットするときの
あほみたいにわくわくしてた感情とダブって
あらわれてるのかもしれない。
好きな音楽を好きになるのって、
音楽そのものが良かったからじゃなくて、
音楽と自分の現実になんらかのリンクがあって、
共感して琴線に触れ、好きになるって過程があるはず。
CDをプレイヤーにセットするのも過程で、
この場合、音楽を聴くっていうのにあたって、
背筋を伸ばすみたいな意味があるんでしょうね。
昔とちがって今は、膨大な音楽ソフトを持っていても
よりマニアックな音楽を知っていても、
それは大したことじゃなくなってきてます。
ネットがあるから。
それってある意味では音楽ソフトが
大量消費されていく環境ができてしまって、
ものすごい速さで、次々といろんな音楽に飽きていく、
っていう状況になってると言えますけど、
逆に、音楽の所有物としての価値が薄弱になってきてる代わりに、
音楽そのものの価値や、聴く側の感性や受け取り方が
問われる時代になってるように思います。
多く持ってる、多く聴いている、から、
深く聴く、へ。
でも音楽ソフトの在りようが変わっていっても、
こいつとは長い付き合いになりそうだっていう音楽は
やっぱCDで持っときたいですね。

以上です。

バババババサバサバサバサーー!
カァー! カァーッ!!


(言いたいこと言ったので
無数のカラスに分裂してどっか飛んでいきました)