干支にまつわるかんちがい

(↓ BGMか何かにどうぞ)

去年の末に出会って、

たまに一緒にお茶したりしてる

津軽さんという女性がいる。

先日も梅田でお茶してきた。

ロッテリアのイートインでお喋り。

震災のこと、

最近よんだ本のこと、

仕事のこと。

STG(シューティングゲーム)の話もした。

別の話題へのシフトは早い方だった。

それはいいんだけど、

ぼくは津軽さんの年齢を知らなかった。

別に気にならなかったので

ことさら訊くこともなかったけど、

喋ってて年齢に関する話題になると

意識的に違う話題にふるような雰囲気を出していた。

でもこの日、年齢がわかった。

震災の話をしていて、

阪神淡路大震災のときは

 ぼくまだ小4だったんですけど……

 津軽さんは?」

と、なんとなくぼくが言うと、

「え、あー、ち、中1やったかなー」

って。

このときも、ちょっと答えに窮した感じだった。

なんでだろう。

どうやらあちらは3コ上である。

29歳。

29歳だったらなんだと言うのだろう。

同世代やん。

でも、答えにくそうだった。

もしかして彼女は、

自分がうさぎ年だということを

知られたくなかったのかもしれない。

ぼくがねずみ年で、

その3コ上だからうさぎ年ですよね。

うさぎは耳が長い。

耳が長いのがうさぎである。

そして、ふわふわしていてまるっこい。

しっぽも、本体と同レベルのふわふわと、

本体を遥かに凌駕するまるっこさを持っている。

愛らしい生命体だ。

ところで、津軽さんを見る。

耳は長くない。

毛でふわふわしているわけではなく、

どちらかというと地肌のほうが多い。

でも、うさぎ年なのだ。

厳然とうさぎ年なのだ。

津軽さんはこう思っているのかもしれない。

「わたしはうさぎ年生まれとして

 不適格者なのではないか」

津軽さんはヒトである。

うさぎである必要は全くない。

実際にうさぎそのものであるのに

実体はうさぎ年の人間なんていう

おかしな存在はこの世にいない。

でも、それは一般に目にする大多数が

そうであるだけで、

実はうさぎ年生まれのスタンダードは

もっとうさぎなのかも知れない。

真面目な彼女は、

今は存在自体が怪しい、そのスタンダードな

うさぎ年生まれを基準として、

それとは違う自分に対して劣等感を抱いているのかも。

ぼくはねずみ年生まれだけど、

自分がもっとねずみであればなあとか、

本来なら立派にねずみだったはずなのに

ぼくは一体今までなにを……とか、

悩んだことはない。

それはぼくが不真面目だからだろう。

でも津軽さんの目にはどう映るのだろうか。

自らの業(干支)を克服した

強い人間に映ったろうか。

それとも、

業から逃れ、目を背け、

平気な顔をしている

哀れな人間に映ったろうか。

それは本人のみが知ることだ。

彼女はこれからも悩むのだろう。

「干支はなんでもいいですよ」

言うのは簡単だし、実際にそう思ってるけど、

そんな言葉には何の意味もない。

彼女が自分の業と闘い、克服するために必要なのは、

彼女自身の強い意志なのだ。

だからぼくに出来ることといったら、

闘いに疲れて意志が折れかかった津軽さんに

「干支はなんでもいいですよ」

と言ってあげることくらいだ。

「うさぎ年の人間いいじゃないですか」

と。

そしたら彼女はきっとこう言う。

「いや、あたし、とり年」