本当の意味で書くことがないということ

昔のブログ読み返してたら

なんか気持ちが不安定になりました。

文章が今以上に拙い!

ぼくは自分の書く文章が

きらいではありません。

昔は昔で、

そのときの自分の書く文章は

きらいじゃなかったみたいです。

書くことは好きです。

好きだからずっと

不定期だけどやってきたわけで、

そうしたら、

昔よりは今のほうがマシな文章が

書けている。と思う。

好きこそものの上手なれ。

とは良く言ったもんで、

好きって気持ちは基本的に、

良い循環を生みますね。

ぼくはいつも

思ったことや体験した出来事などを

もとにして、

いたって普通に、

率直に書いてきました。

そんな記事でも、

わりと苦労したり迷ったりしながら

書いてたこともあります。

でも、好きって感情は、

苦痛と共存できるんですね。

苦痛が伴うからといって、

好きという感情を打ち消したりはしない。

ともかく好きで続けると、

少しずつでも上達する。

続けるという最も困難なことを

好きという感情が可能にする。

好き、を持ち続けられれば

何でもできるし、何にでもなれる。

と思います。

社会も科学も芸術も、

好き、が発展させたんじゃないでしょうか。

好き、は最強。

好き、は困難を突破する武器になる。

ぼくは今あらためて、

それが言いたい

わけではない。

好き、には到達点があります。

カレーが好きなら食べます。

絵を描くのが好きなら描きます。

文章を書くのが好きなら書きます。

好きを満たすために行動します。

ぼくは女性のおなかが好きです。

適度に締まった腹筋が好きです。

この好きの到達点はどこなのでしょう。

どうすればこの好きは満たされるのでしょう。

見る? 模写する? 触れる?

どれもしっくりきません。

多少はしのげますが満ち足りることはないでしょう。

顔をうずめる? 目をつぶって手のひらを当てる?

型をとる?

やっぱり、どれもしっくりきません。

どれも何かの代替行為のような気がします。

女性の腹筋に対する好きは

大別すれば性欲の部類に入るのでしょう。

でも性欲を満たす行為をしても

それで満たされるのはあくまでも

性欲です。

ピンポイントに腹筋欲が

満たされるわけではありません。

ぼくはカレーライスが大好きです。

女性の腹筋の写真を見つつ

カレーライスを食べたら

全ては解決します。

カレーに対する好きが満たされた気持ちを

腹筋に対する好きが満たされたと勘違いすれば良い

ということです。

それこそ、代替行為じゃないか

と思われるかも知れません。

でも、

それで手を打ってもいいじゃないですか。

お腹に直に手を触れされてくれる女性など

ぼくの周りにはいないのだから。

触れることができたなら、

それだけで満足です。

あ、満足だわ。