嘘とは、着地のことを考えずに投げっぱなしにするもの也!

今日は2月28日だ!

明日から3月。

まだまだ寒いけど、

3月ってだけで、

なんだか暖かい気分になる。

朝、早く起きたくなるような、

花の名前を覚えたくなるような、

2度効くコンバットを置きたくなるような、

そんな暖かな気分だ。

2月はなんか長かった。

バイト先でバレンタイン催事なんてのがあって、

忙しかったからかな。

女の子からチョコはもらえなかったけど、

女の子からチョコもらえるんじゃないかとは思えたから、

良いバレンタインだった。

女の子からチョコはもらえなかったけど。

今日は金曜日だ。

明日は土曜日!

土の前に金があり、金の後に土がある。

1年の中でもこの金曜日というのは

特別な日なのだ。

特に土曜日の前の金曜日などというのは

なかなか訪れるものではなく、

今こうして、土曜日前の金曜日を

意識しながら享受できてるのは

とても幸福なことだ。

金曜日は「コンヨウジツ」と読む。

だから土曜日は「どようび」と読む。

土曜日のことはどうでもいいのだ。

そう、コンヨウジツというのはだけど、

もともと中国拳法には

武器を扱う流派も数多く存在する。

青龍刀にヌンチャク、三節棍などなど。

コンヨウジツというのは、

そういった武器のひとつを使う

拳法家のひとりシャオシーが

親類の縁で日本に渡ってきたときに

招かれた家で夜中テレビを付けたら

やっていた番組「探偵!ナイトスクープ」が

おもしろくて、気に入ってしまい、

以来毎週、放送のある日は朝からワクワクな

彼が好きな曜日だ。


今日はエイプリルフールだ。

エイプリルフールというのは、

日本人にはあまり聞き慣れない名称だけど、

これは造語だ。

エ…遠足

イ…イカ焼き

プ…プリン

リ…リロ&スティッチ

ル…ルパン三世(パイロット版)

フ…麩(ふ)

ー…浮く能力

ル…ルチャ

つまり、小学生以下の子どもが

好きなものを表す。

「エイプリるフール」というおもちゃ屋もある。

クリスマスや子どもの日も

エイプリルフールのいち亜種だ。

ところで上に並べた単語、

統一性がないと思わないだろうか。

エイプリルフールに当てはまる言葉は

本来その時代時代によって変わる。

子どもはいつまでも子どもではなく

世代交代をするからだ。

各文字に何をあてはめるかを決めるのは、

エイプリルフールという言葉が生まれたときに

無作為に選ばれた8都道府県が

分割して担当している。

なので、各自治体の更新業務への取り組み方のばらつきが、

そのまま8つの子どもの好きなものの

ばらつきへと繋がる。

更新業務は必ずしも必要ではない。

例えば遠足。

これは今も昔も子どもたちのテンションが上がるイベントだ。

だから継続申請をして、そのまま適応される。

こういう普遍的なものを選んだ都道府県は懸命だと言える。

エイプリルフールという言葉には流行り廃れはないのだから、

そこに当てはめられる言葉もまた

流行り廃れのないものが本来は望ましい。

しかし流行というのは、

予測できない振舞いを見せるときがある。

昭和のプロレスブームのときに

当てはめられたルチャなどは、

その言葉自体はプロレスのスタイルの一種なのだが、

プロレスが廃れない限り、

変更申請の必要はない。

だがそのとき誰も

プロレスが衰退するとは思わなかったのだ。

(いま新たにブームが起こりつつあるけど)

なのに未だにルチャのままというのは

その担当都道府県の怠慢による。

何度も国から催促されているのに、

つっぱねるだけだ。

度し難い態度である。

逆に、毎年欠かさず更新作業のための

市場調査を行っているにもかかわらず、

これまで一度も変更されていないワードもある。

それが「麩」と「浮く能力」だ。

味噌汁の具とアンナチュラルな能力。

麩はたしかにおいしい。

子どもが喜ぶやわらかな食感と、

出汁の効いた味噌汁を吸って

くちに含んだ瞬間あふれだす旨みが

大好きだという人間は多いだろう。

しかし、子どもが大好きなものという

統計で大多数の票を得るようなものだろうか。

しかしこれには、心温まる内訳がある。

いつの時代も日本の食卓には

味噌汁が欠かせない。

いまの子どもも

その親もそのまた親も、

お母さんの味噌汁を飲んで育ってきた。

つまり、

麩の強さというのは、

社会的な流行などというものではなく、

各家庭の各世代が連綿と受け継いできた

縦のつながりの強さなのだ。

世代が変わっても受け継がれる、

各家庭の味。

それが今の子どもにまで届いて、

麩というワードが

いつまでもエイプリルフールに含まれるというわけ。

もうひとつ、変更したことがない

「浮く能力」というワードだが。

これはもうエイプリルフールという言葉が日本で

造られるずっと前、

ライト兄弟の偉業とそれに伴う努力によって、

既に説明されているだろう。

人類全体の「空を飛ぶ」ことへの憧れは、

社会の変化や世代交代などといったものでは

揺るがなかった。

ただ、日本各地に空港ができて、

国内外に簡単に行けるようになってからは、

浮く能力人気にわずかな陰りが見えた。

飛ぶこと自体は、

大きな機械のちからを借りれば

実現可能になったために、

「憧れ」という得難いものへの

羨望の気持ちがうすれたのだ。

それから年々浮く能力人気は衰えていった。

だがそれに歯止めをかけたのは

天津飯だった。

中華のアレではない。

国民的人気漫画「ドラゴンボール」に登場する、

孤高の武術家にしてサードアイがオシャレな

アイドル闘士、テンさんこと天津飯である。

作中で、彼が見せる舞空術

何の科学的ちからも借りずにその身ひとつで

飛翔する能力だ。

これに皆は熱狂し、再び浮く能力への憧憬を取り戻した。

もちろん類似する能力は既に他の作品で

登場していたが、

決め手となったのはドラゴンボールという漫画の

アニメ化にも後押しされた圧倒的人気と、

天津飯というキャラクターの美貌によるだろう。

クールでたくましい彼は、

あるときは腕を2本増やし、そのたくましさに拍車をかけ、

あるときはオカマ口調になり

対戦相手でバレーボールをして

その中性的魅力を際立たせる。

あげくの果てには4人に分身し、

その全てが実体とのたまい、

もともと持つ規格外の魅力を4倍にした。

男子は熱狂し、

女子は卒倒し、

テレビの前で失禁する者が後を絶たなかった。

おむつがバカ売れした。

天津飯の衝撃のあと、

それを真似する作品があとを絶たなかったが、

原点にして頂点という言葉通り、

天津飯の存在はいつまでも

人々の脳裏から消えなかった。

つまり2011年現在でも、

ウ…浮く能力

となっているのはひとえに、

天津飯の功績だと言える。

社会現象と呼ばれるような

爆発的な人気は、

ともすれば一過性の流行として

すぐに廃れるものだが、

天津飯レベルのものだと、

一過したくとも

世界が許さない。

こう言っても大げさではないのである。

ルパン三世(パイロット版)」と

リロ&スティッチ」と

「イカ焼き」もそんなようなもんである。

うそぴー!(´>ω<`)