悪口百恵を触媒とした召喚

ハイボール飲みながら書いています。

ちょい酔ってるので、

普段のぼくではありません。

なので何書いても、

ぼくではないぼくが書いてるということになるので、

何書いても普段のぼくのぼくは

しらばっくれていられるわけです。

「いやそれ、書いたのぼくじゃないんで」

つって。

あの、今日、

お笑いのライブに行ってきました。

『悪口百恵』というライブ。

京橋花月で行われた、

吉本新喜劇座長・小藪千豊さんと

野菜王子・土肥ポン太さんの

トークイベントです。

トークイベント、トークライブというと皆さん、

44mmマグナムとか撃ち合ったり、

ミサイルの応酬とか、

素手のぶん殴り合いとか想像するのじゃないかと

思うんですが、

実際には全然そんなことはなく、

言葉を交わしてグルーヴするという

文化的なイベントでしたが

それはとてもおもしろくためになったおですが、

本題はそうではなく、

このトークライブに誰と行ったかということなのです。

まあ、

結論から言う必要は全くないので、

結論から言いますが、

ほとんど会話ぜずに終わりました。

そう、

一緒にいったのは

女子なのです。

3コ上のショートボブの髪型が魅力的な

女性とふたりで行ったのです。

ここで、

たぶん読んでいる方は困惑されたことでしょう。

「女子? 女性?

 女ってなんだ?」

お詫び申し上げつつ説明します。

「女」というのは、

“おんな”と読みます。

訓読みで“おんな”音読みだと“じょ”とか“め”と読みます。

その「女」という言葉の意味は、

ちょっと複雑なのですが要約すると、

「我々とは全く別のことわりの中で生きる異次元生命体」

のことです。

ぼくは、ぶっちゃけて言うと、

人間です。

人間の男です。

人間には男と女がいます。

ほとんど必ずどちらかです。

フィフティフィフティです。

ですが、

現在のあらゆる学問において、

女のことはほとんど解明されていません。

もっともらしい詭弁を謳った人や書物は

数多くあります。

しかし実際のところ、

我々は「女」について何も知らない。

ただわかっているのは、

我々は「女」という概念を、

システムを、哲学を、

本能的に求めているということです。

それには憧れとか尊敬とか

畏怖とかいった

大切なものに対するような感情が伴います。

本能がそうさせるのです。

「女」という存在は、

われわれにとって、

絶対の価値を持ちます。

時代や流行に全く左右されない、

絶対のアイドル。

それが「女」なのです。

ぼくは男です。

なのでぼくは男の「視界」しか持ち合わせていません。

いうなればぼくの目にするもの全て男なのです。

男の目を通して、男のものさしで測られる森羅万象。

その中にあって、

唯一測れないもの、

それが「女」という存在なのです。

測れないものはある概念においては

「神」の定義にもなります。

「女」=「神」

暴論ですが、

そういう解釈もあるいは

可能かも知れません。

これはすごいことです。

人類のふたりにひとりは神である。

そういうことだからです。

日常に、当たり前に、

実在を持って存在する神々。

家に、街に、職場に、

神は存在します。

しかし人と神は違う。

しかし神=女で

女=人である。

これは大変なジレンマですが、

事実なのです。

事実であるが故にぼくは、

我が身に起こったことに

戦慄を禁じ得ない。

ぼくは今日、神=女、

つまり女子と会って、

ふたりでお笑いのライブを鑑賞しました。

女子はぼくがお誘いして、

喜んでくれ、今日来てくださいました。

女子=神はお笑いが大好きです。

なので今回、ご降臨くださいました。

劇場でとなり同士、

同じ目線で、ぼくの嗅覚に知覚できる香水で、

ライブを鑑賞してくれました。

ぼくは大いなる存在のあまりにも近い場所での

顕現による緊張で、

ろくに言葉を交わすこともできませんでしたが、

そうしてライブを閉幕まで楽しむことができました。

そして劇場を出ると、

すぐに次の要件へと走っていかれた。

ライブの余韻など共有したかったけど、

まあ仕方のないこと。

女=神=異次元生命体は

今回お笑いライブという触媒によって

なんとか約2時間だけ召喚できたのであって、

平時、ぼくの独力でどうにかなるものでは

ないのです、きっと。

まあとにかくライブの前後、

あわただしかった。

別に、

不完全燃焼とかそういうことじゃないです酔う!