そのときはね、本当にね、暖かい気持ちにね

知り合って半年の友人で、

自称日本人のオランダ人がいます。

本人はオランダが大好きな日本人だと

言っていますが

真偽のほどはさだかではありません。

海外放浪癖のある居合抜きの使い手の彼、

五右衛門(仮名)ですが、

いまオランダに帰っています。

先月末に発って、3週間の滞在。

もうすぐ日本にもどってくるのですが、

ツイッターで読む彼のオランダでの生活は、

すごく楽しそうです。

青い空、青々とした草原、牛、

クラシカルな自転車、料理、

風車、歴史を感じさせる街並み、

滞在先の家族や町の人たちとのふれあい――

ほとんどファンタジーの世界です。

彼はオランダ滞在の目的のひとつとして

現実逃避だと言っているのですが、

たしかに質の良い逃避ができそうだと思います。

でもそのために、

貯金をためて、勉強もして、

飛行機のチケットを手配して、

荷物を準備して、

12時間超のフライトを経て、

ようやくできる現実逃避って、

それほど様々な手順を踏んで行う現実逃避って、

それはもう逃避なんていうネガティブなイメージの

言葉で表すような行動じゃなく、

もっとこう、なんか、

普段の生活という空間から

積極的に外へと飛び出すそれは、

現実開拓というか、

別のもうひとつの現実を創ってる。

土地風土言葉文化の違う場所へ行くのって、

そこで出会い馴染み生活するのって、

全くもって

新たな現実を自分のなかに持つことだよなあと

思います。

でも、まったく異なるふたつの現実を持つっていうのは、

なかなかできることではありません。

でも誰にでも「ここではないどこか」は必要で、

だから普通は本を読んだり映画を見たりして

疑似的な異なる現実へ旅をするのだと思います。

でもそれは一時的な想像の旅で、

本を閉じれば、映画館を出れば強制帰国。

うらやましいなあ。

もちろんこれは、

ぼくが五右衛門くんに対していいなあと思う部分、

彼が語る素晴らしいよという部分だけを

言っているので、

実際にはいろいろあるのだろうけど、

まあいろいろあるのが現実だから、

案外いろいろあるほうがむしろ

より向こうの現実に馴染むことが

出来るのかも知れません。

なんか、

彼のオランダの旅を、

ぼくには到底できないこととして書いてますが、

もちろんそう望んで努力したり行動したりすれば

実現可能なことだと思います。

質の良い現実逃避、

現実開拓、

まったく異なるもうひとつの現実を持つ。

そのための方法は、なにも海外に旅をする、

ということだけではないでしょう。

さっき疑似的な現実と書いた

本を読むってことでも、

考え方ひとつで

遠い異国に行くのと同じくらい、それ以上に、

実体を持つ現実としての意味を持つのだと思います。

まあ、五感で感じる全ては、

脳が処理して現実感を付帯させてるだけの

“情報”に過ぎないとか言うと身も蓋もないですが、

ひとが何かに夢中になっているとき、

それ以外のことを忘れているときは

そこにもうひとつの現実が

たしかに生まれていると思うのです。

想像も夢も外国も本も映画も、

潜在現実逃避力に大きな差はなく、

どれも等しく脳が処理する“情報”で、

だから、

どれも等しく“現実”。

つまり、

ロシアの山奥の村のお祭で一緒にタンゴを踊った

村一番の美女と恋におちた夢も

“現実”なんですよおやすみなさい\(^O^)/