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日曜の夜、

お酒を飲んだのでブログを更新せねばなるまい。

勝手にせい、と思った人には、

勝手にするわい、と言っておこう。

勝手にやれば良いことをわざわざ

他者に明言するのは

勝手にやるから勝手に見てね、

ということだ。

勝手に、見たいとき、ひまなとき、

他にやることが無いとき、

やることだらけだけどいいぜ見てやるよなとき、

どうぞ見て下さい見てねってことだ。

ぼくは見てほしいのだろうか。

答えは、イエス! ノー! だ。

イエスで! そしてさらにノー!!

強く言ったのでそれが答えだ。

言葉には意味はない。

意味はない言葉はないけど、

言葉の意味だけで何かが決まるということはない。

「ごきげんですね」

と言っても、

機嫌がいいときに言うこともあれば、

機嫌が悪いときにあえて言うこともある。

要はシチュエーションと会話の流れと空気などだ。

だからイエスはノーでノーはイエスなのだ。

あいつがおれでおれがそいつでこいつが

あいつでおれはどいつなのだ、だ。

ある言葉を発しても、

その言葉の意味だけでは

それが何を伝えたくて言った言葉なのかはわからない。

前方向に対する打撃攻撃に

上方向へのあたり判定もわずかにあるので

相手の読みを反らしつつ対空迎撃ができたりする。

見かけ上のベクトルは一方向なのに、

その効果は全方向に対して効いているなんていう、

技もあるだろう。

そういう技を持ったキャラは、

じゃあ最強じゃないかと思われるかもしれないが、

その分じつは当たり判定が弱かったりもする。

相手と同時に攻撃を放ったときどうしても

打ち負けるんですね。

それはそうだ。

ちからは収束するほど大きくなり

そのエネルギーを相手より効率よく伝達できるものだ。

全方位に対する攻撃は

ちからが分散している。

一長一短である。

見たまま強いか、見切りにくいが弱いか。

ぼくは後者のほうが好きだ。

トリッキーに攻めようとして

読まれたり読みを外したりして

負けることも多いだろう。

でも図に当たったときの快感は大きい。

巧妙に仕掛けた罠、ブラフ、三味線に

相手がものの見事に引っかかり、

まったく予想だにしていなかったというふうに

驚きおののきのけぞり悔しがる。

気持ち良い。

ひとは成功すると快感を覚えるようにできている。

脳がそういう汁を出しよるらしい。

この汁は中毒性が非常に高い。

物やお金や地位や名誉より、

人はそれを欲する。

なんならそれを得るために

物やお金や地位や名誉をなげうつ。

汁つえぇ!

なのである。

汁がつよいのであれば

弱いのは主菜ということになってくる。

焼き魚や肉料理などである。

ただこの場合の弱いというのは

相対的な弱さだ。

汁が強いが故の弱さ。

だけど必要な弱さ。

全てはバランスなのだ。

汁の塩分が強過ぎるなら、

主菜は塩分少なめの玉子料理などが良いだろう。

煮魚も良いかもしれない。

ひとつだけ彼らに言っておかなければならないのは、

全てはお米の手のひらの出来ごとであるということだ。

彼ら主菜や汁がいくら策を弄そうとも、

結局それは米の上のこと。

米との相性が悪ければ、

全ては水泡に帰する。

それは単純な強さだけではない。

エンターテイメントに対する考え方や作り方。

どんなものでも結果を残せば

価値を認める柔軟性。

プライベートに重きを置く働き方。

そしてそこに根付くのは

開拓時代のフロンティアスピリットだ。

アメリカの人は、

風刺を込めて

「ノーと言えない日本人」

などと言う。

だけど、

ぼくはこう言い返したい。

「日本人のイエスは、たまにノーとかだ!」

イエスと言ってるようでもノーと言っているのだ。

逆にノーと言ってるようでもイエスのときもある。

男女の機微は複雑なのだきっと。

YES/NOまくらの

NOって本当にNOなのかってことだ。

ぼくらは容易に肯定の意味でノーと言う。

嫌よ嫌よも好きの内。

のれんに腕押し。

袖すり合うも他生の縁。

ことわざが言いたいだけだ。

それにしても昔の人は

押しが強かったのだなと思う。

少し拒まれたからって諦めず、

粘り腰で相手に心変わりをさせる。

嫌よ嫌よも好きの内。

嫌よ嫌よと言うのは

今で言うとツンデレ女子のことだろうけど、

嫌よ=ツンとすると、

ツンツンデレなので、

デレまでの障壁が2層あるということになり、

昨今勢力を伸ばしている

草食系男子たちに

強固な2層構造の障壁を突破することができるのか。

ぼくはちなみに草食系ではない。

ちゃんと畑で育てられた食用植物を

調理、配膳したものを食べる。

草をそのまま食べるのは

人としてどうだろう。

そりゃあおいしい草もあるかもしれないし、

飢えたときには仕方無い。

でもこの日本で本当の意味で

食いっぱぐれるということは

そうそうないので、

そうなっていないならば

やっぱり草を食べるべきではない。

少なくとも人前では。

これは品位の問題だ。

品位は大事だ。

品位とは目だ。

自分で自分を観る目、

他者から自分を観る目、

自分が他者を観る目、

それらを意識しながら、

それらにとって心地良く見栄の良い

所作・立ち居振る舞いをする。

それを心がけようとする気位。

それが品位だ。

観る。観られる。

それが重要なのだ。

だからまあ

勝手にせい、とか言わずに

お酒で昂った気分のまま書くこのブログ

見てくださいよぉ(´ρ`*)