みんなで食べよう恵方巻き
「準備はいいですか?」
壇上から呼びかけるのは、この場を取り仕切るパンツスーツの若い女――真希子。
目前にあつまった100人が、真剣な面もちでうなずいた。
町の公会堂である。
壇上にいるのは真希子と、同じくスーツを着た丸まると太った男――恵太。そして、この地域の町内会長の山本。
ホールに集まった100人は、体を北北西に向けていて、その手には15センチほどの恵方巻きを握っている。
恵方巻き――恵方と呼ばれる方角を向いて食べる、切り分けられていない巻き寿司のことだ。無言で食べ切ることで福が訪れると言われている。
ごくり、と誰かが唾を飲み込む。
張り詰めた空気の中、真希子が言う。
「では……召し上がってください!」
そうして、ホールにいる100人と、壇上の山本会長は一斉に恵方巻きを食べ始めた。
真希子は、油断なく全員の食べ進め方に気を配っている。
全員がある程度食べ進んでおり、なおかつ誰も食べ終わっていない状態。
最高のタイミングを待つ。
もぐもぐ、むしゃむしゃ――
そしてそのときが来た。
「今です! 食べ方やめぇっ!」
真希子が叫んだ。
すると壇上の山本会長を除く100人が一斉に食べるのをやめた。
「山本さん、そのまま食べ切ってください」指示してから、傍らの太ったスーツの男を見やる。「恵太くん、どう?」
「見ての通りさ」
恵太が言う。
その姿は異様だった。その丸い顔が光り輝いているのだ。文字通り発光していた。
「いい感じね。福媒体質の恵太くんは、周囲の福の濃度によって発光反応を示す……このレヴェルなら、イケる!」
恵方巻きが呼ぶ福の、100人分――
皆が途中で食べるのをやめたため、各人の巻き寿司に集まっていた福が行き場を失い浮遊福としてこの場に留まっているのだった。
眩い光を放つ恵太を見て、ホールにいる100人がくちぐちに言う。
「福を操るなんて半信半疑だったけど、こりゃマジっぽいぞ」「町内会長の言う地域振興が現実味を帯びてきたな」「商店会の予算増やせるのか!?」
彼らが言うように、この“儀式”は山本町内会長が商店街の復興のために提案したものだった。
「カンパして霊能者呼んで正解かもな!」「そうよ! 巻き寿司だってあたしらが100人前用意したんだから!」「会長、そのまま食べちゃって!」「いいぞー!」「か・い・ちょー! か・い・ちょー!」
会長コールが沸き起こる。しかし――
先ほどから山本会長が頬張っている巻き寿司が減っていなかった。
ホールがざわめく。
「様子がおかしいぞ!」「なんか青ざめてないか?」「喉に詰まったか?」「大変だ!」「落ち着け。会長はその食いっぷりだけで商店街のマドンナを射止めたほどの大食漢だぞ」「そうだぞ、それに酒豪でもある。昨日だって景気づけだと日本酒5升飲んでたぜ」「その上メシも茶碗に8杯は食ってたな」「いや、それは飲み過ぎかつ食べ過ぎでは……」「なんか会長の顔、土気色になって来てるぞ」
真希子も異変に気づいた。
しかし。
「山本さん、大丈夫で――」
「おぶろぼるろろろろぉっ!」
遅かった。
山本会長が嚥下した恵方巻きは粗めのペーストとなって床にぶちまけられた。
「…………」
公会堂に重い沈黙。
真希子はしばし茫然として、はっとした。
「いけないっ!」発光する恵太を振り返る。「いま危険な状態よ! 山本さんに集中しかけた福が寸止めを食らって凶暴化しているわ! 恵太くんよろしく!」
「オッケー!」
輝く太っちょ、恵太の行動は迅速だった。北北西を向いてからスーツの内ポケットから巻き寿司を取り出しかぶりついた。
「福媒体質の恵太くんなら凶暴化した福をも体内に取り込んで浄化できる! これで状況を一旦リセットして――」
「おぶろぼるろろろろぉっ!」
恵太もぶちまけた。
「どうしてよ!?」
「はぁ、はぁ、スミマセン」くちを拭いながら啓太が立ち上がる。「もらいゲロ……ってやつですかね」
そう言う恵太の顔は、もう発光していなかった。普通の太っちょ。
「どういうこと!? あれほど高まっていた福はどこに行ったの?」
緊迫した空気の中、壇上へと歩いてゆく男がいた。何故か腰が引けていたがその足取りは悠然としている。
男は北北西を向いたまま、その口には食べ終わる寸前の恵方巻きをくわえていた。
「副会長! 貴様ぁ……」
と山本会長。
副会長と呼ばれた男は壇上にあがると同時に恵方巻きを食べ終えた。
「くっくっくっ」不敵に笑う副会長。「100人分の福とやらはわたしが頂きましたよ」
「その福を……どうするつもりだ!?」
「あなたは宝くじを当てて地域振興に使うつもりだったようですがね……お金は手段であって目的ではないでしょう! もっと未来に目を向けなくては! だからわたしは、商店街の近くに保育園を作ります」
「保育園だとお……」
「そうです! 若い夫婦を呼び込むのです。町を新しい世代に託すのです。この町により良い未来を! わたしはそう願って恵方巻きを食しました」
「ぬぅ……」
黙る会長。
「あのう」と恵太。「副会長さんの身体に入った福は、二度の寸止めで凶暴化して一触即発の状態だったから、身体に入った瞬間には福の効果が発動して……だから多分もう何も残ってないよ」
夜。都会の片隅のとあるBAR。
「いやあ、危なかったですねえ」
「あなたがもらいゲロしたからね」
真希子と恵太はあのあと、地域振興に役立てるはずの福が消滅したことを知って怒りだした町の人々から逃げ出して来たのだった。
「前金だけでももらえたから良しとしましょうよ」
「あなたねぇ」とため息。「それにしてもあれほどの福が何の効果ももたらさずに消え失せるなんてことあるのかしら」
後日、彼女達の元に礼状が届いた。あの町の副会長から。
“お陰様で、慢性化していた尿管結石がきれいさっぱり治りました。これで福に頼らなくても地域振興のためにばりばり活動できます。”
「商売繁盛、無病息災。恵方巻きの効果はちゃんとあったみたいですね」
「福はレーザー治療器じゃないっての!」
了