椅子にかわいさを見出す、という考え方

王将の椅子
今日、昼ごはん食べに『餃子の王将』にいったんですね。中華料理屋の。
で、ラーメン食べてたら、近くのカウンター席に座ってた人が食事すませて、固定式の椅子を回転させて席を立ったわけです。

すると!
するとです。すると!

その席を立った人が椅子の背もたれから手を離すと!

なんと!

その人が席を立つのに回した椅子が!

信じられないことに!

もとの向きに戻ろうとして逆方向に!

回転!

した!

の!

です!

そしてさらに!

信じられないことに!

もとの向きに戻ろうとする椅子の動きが勢い余って!

もとの向きよりちょっと回り過ぎて!

また戻ろうとして!

またちょっと回り過ぎて!

を!

繰り!

く、く!

繰り!

返して!

それはまるで!

そう!

その椅子が惰性で左右に回る動きはまるで!

それは!!

小さな子どもがいやいやをする仕草にも似て!

と!

と!

とて!

とても愛らしい!!

とても!!

あーーー!

しかし!

あーーー!!

なんで!

なんで!!

ななな!!

あーーー!

なんで!

なんで気づかなかったんだろう!

今までなんで!

な!

な!

な!

あーー!!

まあーー!

なーーー!

なんで!!

気づかなかったんだろう!!

まあ言ってみれば!

まあ!

まあなんだかんだ言って!

別に!

べっつに!

よく見かけるタイプの椅子と!

よく見かける!

よーーく見かけるタイプの!

椅子の動きだったのに!

あーーーー!!

なんでーーー!

しまったーーーー!

くうーーーーー!!

もっと早く!

もっと早く気づいていれば!!

もっと早く!!

椅子が惰性で回転する動きの愛らしさに気づいていれば!!

今ネットで流行りの!

メガネをかけた男性にグッとくる婦女子が集いブームになった『メガネ男子』とか!

スーツを着た男性にグッとくる婦女子が集いブームになった『スーツ男子』の!!

ように!

ろ!

ろ、ろ!

ろ!!

『ローリング椅子』と題してネットでそういうのを愛したりそれぞれのこだわりを話し合ったりして盛り上がるサークルみたいなのをぼくが立ち上げてひとつの流行をこのぼくが生み出すことができたのに!

くうーーーーー!!

遅かったーー!!

絶対もう誰か先にやってるに違いない!!

絶対だわーー!

世の中にあまたある事象の中でちゃんと確認しなくてもわかる数少ない事実のひとつそれは惰性で左右に回転する椅子がとっても愛らしいということがすでに周知の事実だということーーー!

畜生ーー!!

あーーーー!

ミスったーー!

ド畜生ーーー!!

ぼくの曇ったまなこと鈍い感性ーーー!

どぐされとるわーーー!!

どぐされきったド畜生すなわち、どぐさド畜されどぐさ生ーーー!!!

どぐさド畜されどぐさ生のぼくーーー!!

それにしてもミスーーー!

ミスったーーー!

椅子についてミスったーー!!

イスミスーーーー!

というよりもはやスミスイーーー!

ぼくなんかもう墨吸いーーー!

そんなことないよと言われても変わらぬ事実それはぼくが墨吸いだということーー!!

破れたー!

『メガネ男子』『スーツ男子』にならぶネットワールドを席巻するムーブメントの担い手になる夢破れたーー!

はかなくも破れたーー!

はかなかったーー!

にんべんに「夢」、つまり人の夢と書いて儚(はかな)いーー!!

でも深いーー!

「儚(はかない)い」という言葉から読み取れる漢字の成り立ちに隠された先人の生き様やこころ模様深いーー!!

海のごとく深いーー!

漢字もはや海ーー!

漢字もはや海説浮上ーーー!

これ以上ない机上の空論浮上ーーー!

ネジとーー!

燃料が全くーー!

足りてない飛行機のようにいつ落ちてしまってもおかしくないからパイロットとしては一刻もはやくどこかに着陸したいけどそこは海のド真ん中で着陸できそうな場所が全く見当たらない状態に似たそわそわしてもう投げ出してしまいたいようなヤケッパチな空気をはらんだ空論浮上ーーー!

まるで今これを書いているぼくーーー!

着地点が全く見あたらない状況で飛び続けてる感じーーー!

いっそ投げ出して適当に終わらせてしまいたけどせっかくだからちゃんと着地をバッチリ決めて締めくくりたいーーーー!

とかいって愛らしい動きの椅子からはじまった話は漢字に海そして飛行機を経てぼく自身へと戻ってきたわけでこういうのはなんか結局ぼくなんだなと思うわけでぼくが見た何もかもはぼくというフィルターを通してぼくの頭の中に届くから語り手がぼくである限り何について語ってもそれは結局ぼくからのびた枝にすぎなくてそれをたどるとぼくという人間にたどり着くということだからつまり何が言いたいのかというとつまり遠くの景色も街ですれ違うだけの他人もハリウッド映画の中の世界も山も海も月も宇宙もそこらへんの石ころも何もかも自分の感性でその存在を知ることができるものは全て自分自身の一部にすぎないのかもしれないなぁとそう考えると人と人のコミュニケーションが希薄になり自然界への感謝の気持ちも失われがちな昨今の世の中の風潮も少しは身近に感じて自分の問題として考えることができるんじゃないのかなぁというようなことをそもそも言いたかった今日のブログ終了ーーーーーーーーーーー!!!!