萌えに燃える、年の差30歳。

きょう両親のやってる居酒屋でのバイト中、あるお客さんと、「“萌え”とはなんぞや」という話をしました。
そのお客さんは50代のおっちゃんなんですけど、若い人ともよく話しをするらしいし、勤勉なようなので、その人の話す“萌え”の定義も、なんだかもっともらしい感じがしました。
曰く、「もともとオタク層がアニメやマンガ、ゲームのキャラクターもしくはキャラクターのある部分に対して感じるフェチシズムのことを指して使われるようになってよく耳にするようになった“萌え”という言葉は、それから時を経て、今はもっと広い意味で、仕事の後にお酒を飲んだり休日に温泉に行ったりして感じる“癒し”を中高年の特有のものとした場合の、10代20代の若い層が“癒し”と感じるものというふうに形を変え、それが今の“萌え”」だそうです。
前半の意見にはぼくも同意できるだけに、それをちゃんとわかってるこのおっちゃんの意見にぼくは「へー、今はそうなってるんかー」と素直に関心したりしたんですけど、でもやっぱり、ふだん耳にする“萌え”の使われ方はおっちゃんの意見の前半部分だけしか当てはまってないと、ぼくは思いますし、うーん、難しい。
そういえば、この前、友人のNくんと話してて、Nくんにはオタクの知り合い(Aくん)がいるんですけど、Nくんが彼の思う“萌え”的要素を持った絵をAくんに見せたら、「こういうんじゃないねんなー」と一蹴されたと言ってました。
で、なんか、「ああ、“萌え”ってぼくが外から見て思ってるのよりずっと深いんやなあ」と思いました。
例のおっちゃんは、「世界が認める日本の『わび・さび』の心は、今は『わび・さび・萌え』になっとる」って言ってましたし。いや深い。

結局“萌え”ってフェチの一種と違うんだったらなんなんだろう??
ぼくがメイドカフェメイドさんのミニスカに感じたドキドキや、落ちたUNOを拾う姿に感じた情けない気持ちとは違うんですかねえ。