よしみ 第3話

連続ブログ小説
よしみ

第3話 YAKEKUSOライブ in やまかがし


~あらすじ~
 いまから大事なコンサートだっていうのに、マネージャーがどっか行ってしまった!新人アイドルの彼女は心の支えを欠いたままステージに出なくてはならない!


 ここ、立浜やまかがしホールでこれから始まるのは、デビューシングルCD『にぎりこぶしひとつ分』を発売してから一気に世間に知られるようになった新人アイドル、六甲山ヨドミの初ライブだ。
 全力で駆け回っても狭くない大きさの、半円形ステージの真ん中に、今ヨドミは立っている。スポットライトの光をその白い肌と白い日傘のような衣装に反射させて、いかにもアイドルらしい輝きを放っていた。
 彼女の頬を汗がつたう。それは煌々と降り注ぐスポットライトの熱のせいだけではなかった。
 目の前の広大な観客席にいる2000人ものファン全員が、いま自分をみているのだ。ホール全体の照明はまだ薄暗く、観客の顔も視認しがたいくらいだが、無数の視線とこれから始まるパフォーマンスへの期待と興奮は肌で直接感じることができた。鼓動は早くて、鼻血でも出そうなくらいあがっている。
 そんな彼女の状態に反してホールはまだしんと静まりかえっている。濃密な静けさだ。
 ライブの開演時間をむかえて、大歓声の中、彼女がステージに登場してから、1分が経っていた。
 観客は今、彼女の声をじっと待っているのだ。
 2000人が自分の声を待っている。
 そう思うと、息がつまって、喉がカラカラに渇いていく。
 まずは来てくれたファンのみんなに挨拶しないと。
 しかしどうしても声が出なかった。初めてのライブへの不安と2000人もの観客が待っているという重圧、たくさんの人が関わる大ホールでの興行の主役という責任。
 そういったものがヨドミに極度の緊張を強いていた。
 喉の筋肉は固まっていて、横隔膜といっしょに呼吸が震えている。
「アイドルらしく元気に挨拶」なんてとてもできない。
 その後、歌も歌わなくてはならないというのに!
 彼女がステージに登場してからまだ1分ほどしか経っていなかったが、彼女にはそれが何倍にも感じられた。
 もう、ぼちぼち何か言わないと! 何か!
 焦る。
 顔を少し上に向けた。いま鼻血が出そうになった。
 誰か助けて!
 念じてもだれも助けてくれない。目だけを動かしてステージの袖を見るが誰もいない。コンサートスタッフも間もなくはじまるイベントの演出のためそれぞれの持ち場に出払っている。
 六甲山ヨドミがアイドルの道を歩み始めてからずっと二人三脚でがんばってきたマネージャーの天童八万十(やまと)も、一番いてほしいこんなときにいない。八万十は、ライブ開始直前に「なにやらかしたんだ親父ー!!」と叫びながらどこかへ行ってしまったきりだった。
 そんな八万十のことを思うと、だんだんイライラしてきた。ずっと2人でがんばって来たのに、一番大変なときになって自分ひとり放り出していったのだ。裏切られた気分だ。
 ふと、だんだん緊張が収まってきていることに彼女は気づいた。八万十への怒りが緊張を紛らせているのだ。
 とにかくコンサートは成功させなければならない。糸口を掴んだ彼女は、引き続き八万十への怒りをたぎらせた。
(あの、へどろまみらされ畜生太郎が!!)

「みなさん」
 マイクを通してヨドミの声がホール中に響き渡る。よくトレーニングされた、細いが通りのいい声だ。
 待ち焦がれた彼女の呼びかけに合わせて2000人分のざわめきがさざ波のように広がった。
「今日はわたしのために来てくれてありがとう!」
 今度は大波だ。2000人が、うおおおー!と、大歓声を上げる。
「……えー、あ、イ、イエーイ!」
 2000人も、イエーイ!
「ありがとう!ありがとう!……えー、今日は、あの、歌の前に、こうして集まってくれたみんなに、あ、歌の前に聴いてもらいたい話があるの!」
 わあああ! 盛り上がる。
(話って!? どうしよう!何も考えてないのに話って言っちゃった!)
 間。
「ほ、ほらっ!ほらっ!」
 彼女は咄嗟に、右手の親指の第一間接から先を、左手の曲げた親指にくっつけたり離したりする動きをした。指が取れたように見せる庶民派手品である。
 それをギャグと受け取って、ホールは、どわあああ!と好意的な笑いに包まれる。
(よしっ。アッ、よしじゃない。話、話を何か……)
「……このまえ、犬が飼いたくなってペットショップにいったときのことなんですけど、ケージの中のワンちゃんをみてて、かわいいなーとか、思って見てて、あっこのコ良い!っていうワンちゃんがいたから、店員さんを呼んで、店員さんがきたの。で、傑作なんですけど、ああー、ホントに笑いこらえるのに必死っていうか、死角から攻撃されたみたいな感じで、笑っちゃったことがあって、いや、声にはださなかったんだけど、もう。だってその店員さんの名前、犬井だって! 犬だけに、ハハッ! 名札にかい、名札に書いてた!」
 ……お、おお、おおお……。歓声が曇った。
「犬うってる店の店員、犬井って! あは!あは!」
 ……ざわざわ……ざわざわ……。ヘンな空気になった。
「あれ?…………えーと……」
(あっ、とっておきが滑った!えらいこっちゃ!)
 彼女は、ぜんぜん緊張がほぐれてなんかなかった。いくら八万十に対する怒りでごまかそうとしても、初ライブと2000人と大ホールの重圧を跳ねのけられるわけはなく、最終的にはやけくそになっただけであった。
 客席は不穏なざわめきに包まれている。彼女に対して、「なんだこいつ」という思いが湧き始めていた。
(どうすればいいの。こんなとき、こんなときは…………老師――!)
 そのとき彼女は、以前、中国の秘境カラマクタン大森林で拳の修行に励んでいたときのことを思い出した。


・・・・・・つづく

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