対象K
前の記事でも書いた
バイト先の店長が変わったことについて、
もうすこし思うところがあったので書いていたら、
あさっての方向に向かってふくらんできたので
小説形式にしました。
たのしい職場だし、みんないい人ですよ。
◆
たしか2010年の4月ごろだっただろうか。
ぼくのバイト先の店長が変わった。
30代の男性店長から、定年間際のやり手女性店長へと。
いろいろあったけど、それまでの職場のカフェは楽しかった。平和だった。
しかしそのときまでだった。
店長が入れ替わった日……
暦の上ではとっくに春なのにやけに寒かったあの日から一変した。
そして半年がたった。
今は秋。
あれから生き残っているのはぼくを含め若干名となった。
あの新店長――通称“K”と呼ばせてもらうけど、今のウチの店長はKなんだけど、最初の数ヶ月、Kはずっと不在だった。
いや、実は今も不在だ。店にKはいない。
でも、ウチの店長はたしかにあのやり手女店長Kで、今もウチで働いている。
矛盾したことを言ってるのはわかってる。
あれはKが新店長としてウチの店舗に来て間もないころ、前店長からの仕事の引き継ぎも終わったようで、その次にKが行ったのは従業員との個人面談だった。
新店長Kとシフトがかぶった人から個別に呼び出され、近くの喫茶店で近況や生活の状況、シフトの希望などを訊かれるわけだ。
順番がまわってきてぼくも面談をした。
けっこうぼくの生活のことや就活しようとしてる現状も考慮に入れて、シフトを組んでくれるそう。バックアップしてくれる感じ。
なんだ優しい人じゃないか、と安心した。
やり手っていうからもっとシビアな人かと思ってた。
で、全員の面談が終わった。
それから何日か経って、あれ? と思った。
Kが全然店にこない。
それからもずっと店に来なかった。新店長なのに。
他の従業員の話を総合すると、どうやら全員の面談が終わった日を境に店に来なくなったようだった。
かといって他の店に行っているわけでもなさそうだ。
どういうことだろう?
ところで、Kが来なくなった日から、別の違和感があった。
今は半年前の4月の終り頃の話をしているが、同じ月のあたまにアルバイトの新人が2名、店にやってきている。
20歳あたりの女の子2人だ。
片や今どきの学生さんという感じで、流行に敏感でテレビやファッションが大好きなオバタさん。
片やぼーっとしてることが多く、喋ることもちょっと個性的な不思議系、たぶん内向的な性格のコジマさん。
年相応にはっちゃけた感じのあるオバタさんはわりと社交的な性格で、店にすぐなじんだ。
でも、自分の世界をもってる感じのコジマさんは、数週間たってもなかなかなじめない様子だった。
違和感というのはコジマさんのことで、Kが来なくなった日から急に明るくはきはきものを言う子になり、一気に店になじんでいったのだ。
まあふつうは、なんかきっかけがあって従業員たちと打ち解けたんじゃない? と思うだろうが、そういう感じじゃなかった。新店長に緊張していたっていうんでもない感じだ。
なぜそう感じたかというと、その説明は割愛させていただくが、とにかくヘンだった。
なんだ、ぼーっとしてるのかと思ったらよく喋る明るい子じゃないか。
いやいや、そういうんじゃなく、ヘンなんだ。
違和感を覚えた日の夜、ぼくは夢をみた。
夢の中でぼくと新店長が面談をしているのだ。
バイト先の近所の喫茶店の二人掛けのテーブル席。テーブルをはさんでぼくと新店長Kが座っている。
まわりには他にだれもいなかったし、ふたりのテーブル席だけにスポットライトが当たっているような感じで、周囲はまっくらで何も見えなかった。
Kの質問にぼくは答えていく。
雑談なんかも交えたりして、なんだ、案外喋りやすいじゃないか。
「生活費どれくらいなん?」
「就活どないや?」
「おかね大変やろ。できるだけ優先的にシフト入れるようにするから」
うん、ありがたい。
と思っていたら、いきなり、
新店長の顔の真ん中に、縦一直線の溝があらわれて、その溝が赤い線になったように見えた瞬間、
ぐばあっ
その顔が溝から裂けて左右に割れた。
切った果物のようにぱっくり割れた。
みりみりみり
そして割れ目は顔からKの腹のあたりまで進行し、ぼくの席からKが座っている椅子の背もたれがよく見えるくらいの角度まで割れていった。
背もたれの左右にKの上半身が半分ずつあった。
割れた体の断面にはサメの歯のようなものがびっしり並んでいて、それが異形のくちなのだとわかった。
わかったあたりで、割れた上半身――大きなくちの根元から赤黒い舌があらわれ、一瞬でぼくの体にぐるぐると巻きついた。
唾液でぬれた舌は柔らかいのに、いくらほどこうとちからを込めてもびくともしなかった。
みりみりみり
そして割れたKの体はもとどおりに閉じて、Kの向かいには誰もいない椅子が残った。
ぼくはKの胃袋に収まってしまったのだ。
これは夢だから、ぼくは一部始終を第三者の視点で観ることができる。だからぼくを食べたKを見続けることができた。
ぼくを咀嚼し嚥下するK。
するとしばらくして、Kの皮膚が火のついた蝋そくのようにどろどろに溶け始めた。それに合わせて徐々に輪郭が変化していく。
溶けた皮膚の下からあたらしい皮膚があらわれた。
ふるい皮膚が溶け落ち、体の変形が完了したとき、そこにいたのは、Kの服を着たぼくだった。
ぼくは汗びっしょりで目覚めた。
夢であったことに安堵したが、脳裏に刻まれた恐怖はしっかりと残っている。
急に性格が変わったコジマさん。違和感の正体がわかった。
彼女はコジマさんではない。面談の際、捕食されコジマさんに生り替わった新店長Kなのだ。
次にバイトでコジマさんと同じシフトになったとき、彼女は年下で後輩なのだがぼくは敬語で喋った。
なぜなら彼女はコジマさんではなく捕食者――もとい、やり手店長Kだから。
「きょうもヒマですねえ」
コジマさんもといKは怪訝そうな顔をして
「な、なんで急に丁寧語なんっすか」
全くしらじらしいが、そんな返答を返してきた。
というか、「なんで」と訊かれてどきっとした。理由なんて言えるわけがない。
“それはあなたが、コジマさんを食べて彼女に変身した店長だからですよ”
むりむり。
おそらくこの手の秘密は、それを知った者が新たな捕食対象になるというのが通例である。
1ヶ月後、ぼくは無事なのだが、被害は広がっていた。そんな気がした。
店に人間を捕食するものがいるという前提で従業員を見ると、彼・彼女らの様子がおかしいとわかる。
ぼくのあたまがおかしいだけなのでは?
それはない。断言できる。理由は割愛させていただく。
捕食したものに変身できる能力を持つKである。分裂・変体して複数人になり替わることも可能だろう。
たぶんそう、どうせそうに決まってる。
次々とKに食べられる従業員。そのたびにKは体を真っ二つに分離させ、片方をもとのコジマさんに、もう片方を新たに捕食した従業員の姿に変身させるのだ。
名前のあとに括弧Kがつく従業員たち。
話しかけてもまるで本人のような反応をする。
はいはい、上手い上手い。
でもぼくを食べるのはカンベンしてください。
さらに数ヶ月。
ぼくはまだ無事だった。
でも不安で押しつぶされそうだ。
いつ自分がターゲットになるかわからないという恐怖……。
バイトなんだから辞めればいいじゃん? と思われるだろうが、ぼくはそんなあなたに、そんなだから“若者は長続きしない”なんて世の年長者たちに言われるのだ、と言っておきます。
このころバイト先でのぼくの日課は、タイムカードおしたらまず数少ない無事な従業員が(K)になっていないか
確認することだった。
「肉はやっぱり牛肉ですよね」
「牛肉ええねえ。焼き肉食べたいわ」
「いいですね。でも焼き肉っていっても人肉だと不味いですよね。やっぱ牛ですよねえー」
「はあ!? 何いうてんのアンタ」
よしよし。大丈夫だ。
ここで「わけわからん」というような反応をする人はまだ無事ということ。
でもこの日課を繰り返していて、バイタルサインを返してくれなくなったときの絶望感といったらない。
別に「こいつうぜえ」と思われて無視されるようになったというわけではなく、それはKになりかわった証なのだ。きっと。
そして現在。あれから半年後の10月。
ぼくは対決を決意する。
従業員のほとんどが(K)になってしまったがおそらく本体のようなものは最初の被害者であるコジマさんだろう。
ぼくはコジマ(K)さんに、
「店長、ぼくはあなたの正体に気付いてますよ」
と告げた。
告げるとともにぼくは攻撃を開始していた。
相手は上半身全体が大口になってるような異形の生物である。不意打ち以外に勝ち目はない。
「うっ」
顔をしかめるコジマ(K)さん。攻撃と言ってもぼくは微動だにしていない。
ただ、バイト前ぼくは近所のイタ飯屋でにんにくたっぷりのパスタを食べてきていた。
そのくちで、けっこう近くで彼女に話しかけたわけだ。
「すみません……くさいです……」
効果てき面。
人間の天敵となりうる未知の生物の弱点はにんにくだと相場が決まっている。
「ちょっとアンタ、バイト前ににんにく食べてきたん!?」
これは他の従業員(K)。
また別の従業員(K)も、
「飲食店なんやから……。ちょっと抜けていいから口臭消すスプレーかなんか買うてきい」
弱点となる攻撃に対する防衛本能か、彼・彼女らはそう言ってにんにくの臭いを退けようとする。
ぼくは聞く耳もたない。
なぜならそれらK達の言葉はそのまま、人間社会を脅かす大敵が弱っていることを示す苦悶の声だったからだ。
「いらっしゃいませ」
とりあえず仕事中なのでカフェの接客を続ける。
お客さんから注文をとる。
「はい、はい。こちらのセットですね。かしこまりました」
厨房にオーダーを伝えにもどる。
すると先ほど対応したお客さんが、ぼくが離れたのを見計らったかのように、
「なあ、あの店員さん、にんにくくさない?」
「したな臭い。あたしすぐ息とめたもん」
などとひそひそ声で言っていた。
ぼくは愕然となった。
地面が消えて深い奈落に落ちていくような気分。
めまいがしてたたらを踏んだ。
弱点であるにんにくを嫌がる習性=K。
Kの魔手は従業員だけでなく客にまでおよんでいたのだ。
その後も同じようなことを言う客が散見され、ぼくはもうすぐにでも倒れてしまいたい気分のまま、仕事をつづけていた。
もうどこでもいいから寝てしまいたい……
眠ったら全てなかったことになるような気がする。
はやる動悸がおさまらなかった。
つねに過呼吸気味に肺が収縮する。
「はあっはあっはあっ」
息があらくなる。
「すみません……においます……」
「はよ薬局いってきいって」
「ねえあの店員さん……」
「ママあのおにいちゃんくさいー」
Kが蔓延していた。敵だらけだった。
現状は想定をはるかに超えて悪い方向に着地していたようだった。
――うわああああぁぁぁぁああぁぁぁあああぁぁぁ――
ぼくは発狂した。
いま思えばそれは、ぼくの精神の防衛本能だったのかもしれない。
一週間後。
ぼくは山の上の療養施設にいた。心の病だと判断されたのだ。
森と草原に囲まれた施設の窓から見える、秋の草木はあざやかに赤やだいだいに染まっていた。
表にでて散歩する。
空気がきれいだ。ここでは雑踏のざわめきや、行き交うクルマのエンジン音は聞こえない。
かわりに聞こえるのは、野鳥のさえずりや虫の鳴き声だった。
夜になると星がよく見えて、晴れの日の夜は飽きもせずに空をながめ続けていた。担当医がそんなぼくに小型の天体望遠鏡をくれた。ひとり立ちした息子のものだそうだ。
食事は近隣農家が配達してくれる有機野菜や、川魚を使った健康的なものなのだが、たまにはラーメンでも食べたいと漏らすと、その翌日、女性職員がリクエストにこたえてラーメンを持ってきてくれた。出前だそうだ。こんな山奥までご苦労さまです。
どんぶりからもうもうとあがる湯気からは豚骨スープのくせのある濃厚な香りがした。
ひさびさに食べるラーメンはうまかった。とろみのあるこってりスープはにんにくがたっぷり効いていて、野菜や魚主体のここでの食事に慣れたぼくには刺激的であり、すばらしくおいしく感じた。
食事を終えて、女性職員が食器をさげにきた。
「ありがとうございます。とてもおいしかったですよ」
心からのお礼を言う。
「あらあら」
職員は困ったように笑いながら、こんなことを言った。
「息がにんにくくさいですよ」
ここにもにんにくを嫌がる者がいた。
それはある解答を示していた。
もう、逃げられない……
おわり