円形校舎がうたう歌

電気がない、

トイレがない、

食べる物がない、

あるべき物がない。

こういう状況はつらい。

一瞬一瞬の我慢で済まなくて、

真綿で首を絞められるような、

漠然とした不安と虚脱感と、

それでも気落ちしてられない焦燥感が

同時にやってきて、

想像以上に気力・体力を消耗する。


大阪のとあるショッピングモール内のバイト先で、

ホワイトデー用のお菓子の売り子をやった。

モール内メインストリートにワゴン出して、

売りまくる。

昨日、13日の日曜日。

開店直後から大盛況だった。

普段は日曜でもひまなはずの午前中でも、

お菓子を買い求めるお客さんが途切れなかった。

前日の土曜も、ぼくは売り子じゃなかったが

大盛況だったらしい。

売上予算をオーバーキルしてた。

なのでその翌日となる13日は

いろいろ不足していた。

商品の補充が間に合ってない。

在庫が多くある商品でも

ラッピングされてなくて

お買い上げの都度やらなくてはならない。

商品を入れる紙袋が足りない。

お客さんが人に渡すときに使う

小分け用袋も少なすぎる。

お客さんはひっきりなしにくる。

これは店的にはチャンスなのに、

こちらの準備が追いつかないせいで

見す見すスルーさせてしまう恐れがある。

足りない間に合わない追いつかない。

それでも買ってくれるお客さんはいて、

なんだか申し訳ない。

いつ破綻してもおかしくない状態で

お客さんに売り続けるのは、

なんだか妙に疲労がたまる。

でも、倉庫にいくため

ワゴン離れなくてはならないときは、

隣のワゴンの売り子さんが

「見ておきますから」

と言ってくれた。

小分けの袋切らしたとき、

でもどうしてもプレゼントっぽい袋が欲しいという

お客さんがいたとき、

袋を分けてくれる店があった。

ありがてえ。

そして、数時間後ようやく、

ヘルプの人が来て、

各種袋やラッピング済み商品が

補充されたときには、

こころの底からほっとした。

忙しさは変わらないが、

なんとかなる、と考えられる状況になったことで

ずいぶん楽になった。

そういうことだ。

そういうこととは規模が違うけど、

皆がそれぞれ、

もう誰か早くなんとかして

早くなんとかならないかな

と思いながら自分でも

なんとかしようと

なんとかしている。

「みんなでみんなを」

これはぼくが卒業した小学校の合言葉だ。

いまこそみんなでなんとかしようとなんとかする

なんとか関係のなんとかがよりなんとかなんとかして

なんとかがなんとかなるようにぼくらも

なんとかできるようなんとかしつつなんとかできるかぎり

なんかとかのためになんとかを

なんとかなんとかしようじゃないか!

ひらがな多い部分はあまり重要じゃないぞ!

とにかく、

何か出来るとき、すべきとき、

自分の出来る範囲で、

自分が苦しくない程度でいいから、

何かしよう。

そう思います。