喫茶ダブルドラゴン 第5話 前篇
正午過ぎ。喫茶ダブルドラゴンにはマスターの竜田隆一しか居ない。昼の光が窓から差し込むが、店の表には「CLOSE」の札がかかっていた。
ダブルドラゴンはいつも13時にオープンする。
開店準備を終えて、仕入れたばかりの珈琲豆で珈琲を淹れる。中煎りのドミニカ産豆をやや高めの温度のお湯でペーパードリップ。抽出時間は短め。
出来上がった珈琲をカップに移し、カウンター席に腰かけて、ひとくち。
「……うめぇ」
うっとりと溜め息を漏らす。
からからん――
ドアベルが鳴った。
「おはようございます!」
快活な声とともに入って来たのは、革ジャンとジーンズを身に付けた女性――アルバイトのミドリだった。
「おはようさん。ミドリちゃんも、どうだ?」
とカップを持ち上げて見せる。
「いただこうかしら」
応えて、バックスペースに荷物と革ジャンを仕舞ってから、彼女はキッチンに入る。コーヒーサーバーから残った中身をカップに注ぐ。
「ん、おいし。これドミニカ? 甘酸っぱいわね」
「うどん出汁みてえだろ?」
「ワインのようね」
ミドリもカウンター席に腰かける。
まだ開店まで時間がある。
「いつも思うんだけれど」
と、セミロングの髪をかきあげながら隆一を見る。
「うん?」
「もう少し早く開けてモーニングとかやらないの?」
「なんのためにだ」
「なんのためって……朝おきたら喫茶店でモーニングを――って人のためよ」
「……」
隆一は珈琲をひとくち飲んで、カップをソーサーに置く。
「ミドリちゃんよ」
そして真剣な表情でミドリを見据えた。
「なによ」
「俺ぁな、朝おきたら喫茶店でモーニングを――って人のために喫茶店やってるわけじゃあねーんだぜ!」
「隆一さんって、言い切ればなんでも押し通せると思ってるわよね」
「んなことねえやい」
「だって、本当は朝が弱いだけでしょ」
「まーな!」
「はぁ」と溜め息。「あっ、そろそろオープンしますね」
「ああ、頼まあ」
隆一は珈琲を飲み干しキッチンへ。
ミドリもカップを空けると、エプロンを着け、ポケットから取り出した花柄の髪留めでセミロングの髪を束ねた。それから外へ。札を裏返し、「OPEN」に。立て看板も設置した。
*
午後2時。オープンから1時間。店は満席だった。
席数は多くないとはいえ、無計画かつ無作法、加えてエゴまるだしの経営をする隆一の、この「ダブルドラゴン」ではまずあり得ない光景だった。
「ミドリちゃん、ブレンドちょうだい」
「はあい」
「ミドリちゃん、俺アメリカン」
「はいはい、ただいま」
「マンゴージュース!」
「マンゴーね、りょうかいー」
「ネエチャン、ホットドッグ焼いてくれや」
「おっけー!」
「ミドリちゃんスマイルちょーだい」
「じゃかあしゃどあほ」ニッコリ。
つまるところ、ミドリがアルバイトに入ってから、こういうことが起こるようになったのだった。
「隆ちゃん、いい看板娘が来て良かったね」
とカウンター席で言うのは、常連客のひとり、大道芸人のカズ。
「まーな。しっかし客もゲンキンなもんだねえ」
キッチンに立つ隆一は、そう言って少しくちをとがらせる。
「そりゃあんた、同じ珈琲飲むんなら、ミドリちゃんみたいなキレイで元気な子がいる店のが良いに決まってるでしょーよ。隆ちゃんだって、だからバイト雇う余裕なんてないのにあの子入れたんだろ?」
「そうだけどよ。こうまで顕著だとなあ。あとな、カズ。同じ珈琲じゃねえ。ウチの珈琲はよそとは違うんだよ」
「ははは、ごめんごめん。でもおれは隆ちゃんの珈琲が好きで来てるからね。オープン当初から通ってるんだよ?」
と――
「はぁー、のど乾いた」
言ってミドリがどかっとガニ股でカウンター席に腰かけた。
「隆一さん、水ください」
「あいよ」
水道水をコップに注ぎ渡してやる。
「っあー! 生き返るう!」一気に干して、振り向く。「あ、カズさん、こんにちは」
「おつかれさん。ミドリちゃん、カップ酒飲むおじさんみたいだね」
「えー! やめてくださいよお」ささっと居住まいを正すミドリ。しなを作ってカズを上目遣いで見つめたりする。「カズさんったら、もうっ」
「すみません、注文ー!」
テーブル席から声がかかった。
「わっと! はいはいー」とミドリは素早く注文を取りに向かう。「あー、目ぇ吊ったかも」
「あの男みたいなのの何が良いのかねえ」
と隆一。
「そういうとこがいいんじゃないの。飾らない感じがさ。それに美人だし」
カズが接客をするミドリを眺めながら言う。
「ふーん。何だカズ。いやに褒めるじゃねえか。狙ってんのかぁ?」
「まさかあ。皆のアイドルに手だしはできないさ。狙ってるって言えばさ、ほら」とカズは声をひそめる。「あそこのテーブル席の男の子、さっきからずっと、ミドリちゃんの方ちらちら見てるよ」
「ああ、最近よく来るようになったガキか」
隆一がその席に目をやると、テーブル席のひとつに二十歳前くらいの大人しそうな青年がいる。珈琲を傍らに置いて文庫本に目を落としているのだが、ときおり横目でミドリの方を見ているのが伺えた。
「おれなんかは半分冷やかしなんだけど、あの男の子は、あれはマジだね。ミドリちゃんに惚れてるよ」
ひそひそ声で、実に楽しそうにカズが言う。
「お前そういうネタ好きだよなあ」嘆息する。「しかし、あれは、惚れてんのか? なんか注文してーだけなんじゃねえの?」
件の青年がまた横目でミドリを見る。彼女がそちらを見ると、青年は慌てて目をそらす。
「青春だねえ」
カズは眩しい物を見るように目を細める。
「落ち着きが無いだけなんじゃねえの?」
と隆一は眉を吊り上げる。
「あっ、ありがとうございます!」
ミドリはレジで、会計しようと席を立った客に弾ける笑顔を向けた。
つづく