きんきょうーほうこくー!

たまには普通のエントリを。

試みとして毎日2000文字小説というのを

やってるんですが、

もう「毎日」の文字は有って無きが如しです。

あっ、「日々」にしようかな。

日々2000文字小説。

「毎日」だと、まるで、

一日も欠かさずに行わなければならない

という誤った解釈をさせてしまいますけれど、

「日々」ならば、

更新スパンのことではなく、

われわれが毎日すごす日常のことを

指しているんですよという言い訳ができ、

日常からインスピレーションを受けて

みじかい小説を書くって意味なんですよ

という言い逃れができるじゃあないですか。

本格的に物語を書く筋肉をつけようと思って

言いだしたくせに、

さぼりの言い訳ばかり思い浮かぶ、

そんなぼくのことをぼくは好きです。

(だれかこいつを叱ってくれ!)

近況ですけど、

バイト先の喫茶店が消滅しました。

まさか辞める前に店が無くなるとは。

ショッピングモール内にある店だったんですけどね、

いまはシャッターが下りっぱなしです。

人間関係がすこぶる良い職場で、

学生も主婦を仲良くて、

よく飲み会とかもしてたんですが、

その中心となっていた場所が無くなるというのは

寂しいもんです。

と、

無くなったばかりのときは思ってたんですが、

今思うのは、

その喫茶店無くなると、

このショッピングモールの中に

うまい珈琲飲める店ねぇー!

ということで、

それで寂しくなってきた。

手前味噌ですが、

うまかったですよ。

で、うちの珈琲が好きで来てくれていた

常連さんどうしてんだろう、とか考える。

ぼく自身、

このショッピングモールに買い物に来て、

珈琲でも飲みたいなと思うときがあって、

どこに行けばいいんだろう?

ってなった。

まあ自宅で淹れますが。

でもそういうことじゃあない。

ちなみに今ぼくは、

同じモール内の、

前あった喫茶店の斜向かいの

ジュース屋で働いています。

店が無くなるってなったとき、

そこの社員さんが、

「うちで働くか?」

と声をかけてくれたのでした。

そこから前の職場が見えるわけですが、

常にシャッターが下りている。

常連だったお客さんが、

シャッターを見上げて残念そうな顔をして

去っていくのが、

今のジュース屋から見える。

なんだこれは。なんなのだこの気持ちは。

と思う。

いまここいらに

ぼくの全霊を込めた珈琲を出せる店を

オープンしたら、

前の常連さんたち喜ぶんじゃない?

とか夢想する。

お金もなけりゃあ知識もない。

人より少しはましな珈琲を淹れられるが、

それだけだ。

ぜんぜん現実的じゃない。

でも、わかったことがある。

いつか自分の喫茶店を持つときが来るとして、

そのときっていうのは、

ずっと抱いていた夢をかなえた!

とかいうものではなくって、

なんだ仕方ねえなあ、

ぼくがうまい珈琲飲める場所

こさえてやらあ!

って思ったときなのだろうということだ。

自分のためってだけではきっと弱いのだ。

誰かのため、

おいしい珈琲を飲んでくつろげる場所を

求める人のため、

ぼくの男魂注入真剣珈琲ぶちかまさせてくれる

そんな人のため、

ぼくは店を構えるのだろう。

構えるかなあ。

ただ、

今はいろんな力量の問題でそれが出来ないから、

今はそのときじゃない。

ということは言いたくない。

今なんか出来ないのかね。

出来ることないのかね。

無くなったその喫茶店のあとに出来る店が、

納得できるだけの珈琲を出す店ならば

(そしてお客さんがくつろげる店ならば)

それで良し。

そうじゃなければどうしよう。

自分で自分の特性や限界を決めるのは

好きじゃないけど、

ぼくはどっちかというと

数字のことや事務的なことを考えるよりも、

ひとつのことを追求するほうが向いているように思う。

今できることは何か。

考えなければいけないが、

考えてるだけではいけない。

とりあえず、

珈琲を淹れる技術は磨き続けよう。

そして飲んでもらえる場を探そう。

と思う。

ジュース屋で働きながら、

喫茶店に未練たらたらである。