『ゆめにっき』その2

「人によってものの見え方が違う」
っていっても、
Aくんという人間の似顔絵を何人かで描いても
同じような絵ができるだけでしょう。
描く人によって似顔絵の雰囲気が違ってることで、
「その人がAくんに対して持ってるイメージが
反映されているのだ」
という考え方もできると思いますが、
それは絵がある程度得意な人に起こることで、
そうでない普通の人が描いた似顔絵だと
単にその人が描きやすい曲線とか顔の造作とかが
Aくんの顔に関係なく
出てきてしまってるだけじゃないか、
と思います。
なのでAくんは誰が見ても同じ顔。
で、見る人によって違うのはAくんに対して感じる
印象やイメージだと思うわけで、
例えばAくんがお喋りでノリのいいタイプだったら
同じタイプの人なら、
いっしょにいて楽しい気が合うやつと思うでしょうし、
おとなしいタイプの人なら、
温度差があってとっつきにくいと思うでしょう。
それぞれAくんの顔や名前を見たときに、
よぎる感情が違うということ。
もしそんな形のない感情だけを
正確に絵として表現できる技術があって、
それができる人の描いた絵を見れば、
その人が自分の周りを見てどんな印象をもっているかが
わかるかもしれません。
『ゆめにっき』は、
製作者自身の、もしくは主人公の少女の
自分の周りに対して抱いている
本来かたちのない印象や感情を
ゲームっていう形で表現してる気がすごくします。
世界をこんなふうに
感じてしまう人がいるということ、
いったいどんな酷い体験をすれば
こんなふうに感じるように
なってしまうのだろうということ。
そういうことを、
プレイしながら無意識に想像してしまって、
でも全く想像は至らないけど
何か途方もないような気はして、
おそろしい。

おもしろいよっ!
『ゆめにっき』ぜひ。